ぼんやりしていた状態から動きだしました。思考停止状態でもあったので、放心してる場合じゃないなと。
自分でぼんやりだと思っていた状態がいわゆる普通の状態なら、他にも思い違いしてることがありそうです。
パニック障害は消えました。5月に飛行機で起きたのが最後です。また追い込まれた状況で現れるのかもしれませんが、それはそのときのこと。
前回の「薄まった罪悪感」も消えました。
もし過去に戻ったとしても同じことをします。
(中略)
そして、「モジュール単位でのローカルルール感染」、「スイッチ」、驚いてます。
そのような発想は全くありませんでした。マイナス条件が揃うことで自分の中の部分が沸いて心身が騒ぐ、単純にそう考えていました。こんなに構造が違うなら、悩みの枠組みだけでなく、他にも変わってくることがありますね。
まず最初に考えたのはこれです。外では良い人が家庭内では別人のように豹変すること、一貫しないコミュニケーション、それを行う家族の面々が少しも悪びれた様子がないこと。
なぜこんなことに陥るのか、人間の二面性だけで解いてしまうと救いようがない霧が晴れてきました。
次に、母と私の発作は同じメカニズムで起きていると気付きました。
症状として現れる先が、自己の不調か、他者に向かうか、それだけの差。なら、対策も応用できて半減、問題はスリム化するはず。
ちゃぶ台返しに遭ったカウンセラーさんのお話も他人事とは思えませんでした。
母の不穏時も、わかろうとして親身に話を聞けば聞くほど、飲み込まれてわけがわからなくなっていくのです。
母は観客がいることで興奮のボルテージが上がるようなおかしな状態になり、私は恐怖で固まって動けず攻撃を受け放題、
介護士さんもそのようで、親身になって接してくださる方ほど巻き込まれてしまうようでした。
これをローカルルールに感染したモジュールにスイッチしたと捉えれば、「共感」より「またぎ」で納得。
母と私の連鎖スイッチもここで戻せばいい。逆に、問題を起こすモジュールに共感してたら、歪みも修正できず、解離からも戻ってこれなくなる。
やっと理解できました。
ローカルルールそれ自体が自律性を備えていることや、感染させるのはモジュール単位であることの説明、
ローカルルールが本当の敵であるということも受け取れました。これにはほんとうに身震いするものがあります。
認めないことで無きものにしたくなる誘惑がちらつきます。“二重の見当識”は忘れず覚えておこうと思いながら考え疲れて爆睡し、
今朝、心に聞いてみました。「まだ家族に殺されると思っているか?自分は人柱か?」と。
返ってきた答えは、「ローカルルールに殺される。人柱は断ればいい。あきらめるから」でした。
(参考)→「共感してはいけない?!」
(参考)→「ローカルルールとは何か?」