ハラスメント(モラハラ)とは何か?~原因と特徴

ハラスメント(モラハラ)とは何か?~原因と特徴

ハラスメント・生きづらさトラウマ、ストレス関連障害

 

 現代の悩みを理解、解決するためには「ハラスメント」という概念を知る必要があります。「生きづらさ」とならび臨床における最も重要な概念といっても過言ではないものです。できるかぎり多くの人に知っていただきたいと思い、医師の監修のもと公認心理師が、まとめてみました。

 よろしければご覧ください。

 

<作成日2015.12.29/最終更新日2024.6.4>

 ※サイト内のコンテンツを転載などでご利用の際はお手数ですが出典元として当サイト名の記載、あるいはリンクをお願い致します。

 

この記事の執筆者

三木 一太朗(みきいちたろう) 公認心理師

大阪大学卒 大阪大学大学院修士課程修了

20年以上にわたり心理臨床に携わる。様々な悩み、生きづらさの原因となるトラウマ、愛着障害が専門。『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』など書籍、テレビ番組への出演、ドラマの制作協力・監修、ウェブメディア、雑誌への掲載、多数。

プロフィールの詳細はこちら

   

この記事の医療監修

飯島 慶郎 医師(心療内科、など)

心療内科のみならず、臨床心理士、漢方医、総合診療医でもあり、各分野に精通。特に不定愁訴、自律神経失調症治療を専門としています。プロフィールの詳細はこちら

 

<記事執筆ポリシー>

 ・公認心理師が長年の臨床経験やクライアントの体験を元に(特に愛着やトラウマ臨床の視点から)記述、解説、ポイント提示を行っています。

 ・管見の限り専門の書籍や客観的なデータを参考にしています。

 ・可能な限り最新の知見の更新に努めています。

 

 

 

もくじ

モラルハラスメントとは何か?

・モラルハラスメントのメカニズム

 ・ダブルバインドというコミュニケーションパタン

   ・「本来の自分」との断絶

 ・パッケージ化された【インターフェース】の強制

 ・パッケージの「内面化」による【本来の自分】からの断絶

家族(親、妻、夫)からの支配(モラハラ)
職場での支配(モラハラ、パワハラ)
ハラスメントは拡散する

 

→関連する記事はこちら

 ▶「モラハラ(モラルハラスメント)への対策、対処法~6つのポイント

 ▶「生きづらさとは何か?その原因と克服

 

専門家(公認心理師)の解説

 ハラスメント(モラハラ、モラルハラスメント)とは、まさに悩み、生きづらさの中核を形成するものです。拙著(『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』)の中では、トラウマを構成する心理的な特徴、要因の一つとして書かせていただきました。ハラスメントの知識なくして、現代の臨床心理、カウンセリングを行うことはできないといっても過言ではありません。

 世の中にはハラスメントを解説したサイトや書籍は多くありますが、弁護士などが法的に解説したものや人事総務の観点で事象レベルでとらえたものが中心で、心理的社会的なことから本質を捉えているものはほとんどありません。事象レベルの解説ではハラスメントの特徴や原因を見誤ることになります。

 私(三木)は、自分自身がハラスメント被害の当事者でもあり、臨床においては長年ハラスメントに苦しむクライアントの解決をサポートしてまいりました。ハラスメントとは人間や社会を理解するため、私たちが自分らしく生きるために不可欠な最重要概念と言っても過言ではありません。理論から具体的な事象までを知る専門家として、今回ハラスメントとはなにか?についてまとめています。

 

 

モラルハラスメントとは何か?

・イルゴイエンヌによるモラルハラスメントの”発見”

 本記事で紹介するハラスメントとは、基本的にはモラルハラスメントを指しています。<ハラスメント≒モラルハラスメント>です。
 モラルハラスメントは、1998年にフランスの精神科医のイルゴイエンヌによって、その実態をまとめた書籍が出版されたことがその始まりとされます(イルゴイエンヌ「モラル・ハラスメント」(紀伊國屋書店))。

 

 

・誤解も多いモラルハラスメント

 「モラルハラスメント(モラハラ)」として言葉は広く知られるようになりましたが、誤解も多い概念でもあります。例えば、「モラルハラスメント」についてはさまざまな書籍が出版されていますが、そこで扱われているのは事例集でしかありません。事象を分類した程度になってしまっているものがほとんどです。

 よくあるのは、ひどい夫や妻の例を出して、やり口を分類しているものです。職場で起きるものは「パワーハラスメント(パワハラ)」とされますが、労務管理的な問題とされたり、少しわい小なニュアンスとなってしまいます。

 「ハラスメント」とは本来もっと大きな概念です。

 

 

・安冨歩教授らによる「魂の脱植民地」プロジェクト

 最もすばらしいものは、東京大学の安冨歩教授らの研究です。「魂の脱植民地」というプロジェクトで、東大や阪大などさまざまな研究者が参加しています(東京大学東洋文化研究所)。

 ハラスメントはその特性として把握されづらいものなのですが、それを体系づけた功績はとても大きいと思います。また、大学の研究者がこうした問題を扱い、研究していることにも驚きです。

 ハラスメントは、実際に当事者として経験し、さらに外部化・相対化し、その存在を自覚しないと見えないものです。また、自分だけではなく、同じ苦しみを持つ人がある程度周囲にいてはじめてとらえられるという性質のものです。

 なぜなら、「世の中は理不尽なもので、そんなこと当たり前だよ」というような人に囲まれていたりしたら、ハラスメントに対する違和感は容易にごまかされてしまうからです。ハラスメントにおいて重要な事は、そのコミュニケーションに織り込まれた巧妙な支配のメカニズムにあるのです。そのことを安冨教授は明らかにしています。

 

 

 

・土台となった研究

 そして、その土台となっているのは、文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンのダブルバインド理論、精神科医のアルノ・グリューンの「自分に対する裏切り」(アルノ・グリューン「「正常さ」という病」(青土社))、心理学者のアリス・ミラーの「闇教育」(アリス・ミラー「魂の殺人」(新曜社))になります。

 

 

・ひろく明らかになってきたハラスメント

 ここ数年で、ハラスメントについてさまざまなことが明らかになってきています。「ブラック会社」というように会社そのものがハラスメントによって社員を支配、搾取していることが糾弾されるようにもなりました。一人では気づくことが難しいことを考えると、世の中の流れが異常な状態から抜けだそうとしていることの現れなのかもしれません。

 

 ”ハラスメントの発見”は単なる個別の悩みの解決にとどまりません。私たち人間にとって心のままに生きていくために、エポックメイキングといっても過言ではないくらい重要なことです。

 

 

 

・<ハラスメント≒モラルハラスメント>とパワハラ、セクハラなど個別のハラスメントとの関係

 ハラスメントとは、さまざまな手段によって他者の人間性をおとしめて支配することをまとめた大概念です。「モラルハラスメント」とほぼ同義の概念です。現れる場面や手段によって、「パワハラ」「セクハラ」「アカハラ」個別のハラスメントとしてあらわれます。

 

 <ハラスメント≒モラルハラスメント>⇒現れる場面や方法によって「パワハラ」「セクハラ」「アカハラ」と呼ばれる、といったようにご理解いただけるとわかりやすいかと思います。

 

 

 

モラルハラスメントのメカニズム

※以下の内容は基本的に安冨歩教授の研究にのっとってまとめています。

参考)→「安冨歩・本條晴一郎「ハラスメントは連鎖する」(光文社) など

 

●ダブルバインドというコミュニケーションパタン

 生きづらさの根源ともなるハラスメントですが、その土台にあるのは、ダブルバインドというコミュニケーションの仕組みです。

 

ハラスメント、ダブルバインド

 ダブルバインドとは、グレゴリー・ベイトソンによって、1956年に明らかにされたコミュニケーションパタンのことです。ベイトソンは、ダブルバインドが統合失調症の原因であるとしました(現在は、統合失調症の直接的な要因とはされていません)。

 

・ダブルバインドのしくみ

 ダブルバインドは、下記のようなしくみでできています。
噛み砕いて説明させていただきます。

1.ネガティブな意図(悪意、イライラなど)をもって

2.相手に対して禁止や、否定的なメッセージ(第1のメッセージ)
 
   ↓受け手は違和感を感じる。

3.2.と矛盾する、あるいは隠ぺいするメッセージ(第2のメッセージ)

   ↓受け手は混乱。自分の感覚を疑ってしまう。

 ※1~3まででも十分にダブルバインドになります。

4.この状況から逃げてはいけない。あるいは、人に言ってはいけない、というメッセージ(第3のメッセージ)

5.このような理不尽な状況は当たり前で、世の中はそういうものだと思い込む。

 ※周囲のリアリティがその理不尽さを当たり前としているとさらに促進されます。※相談された時に、理不尽さを肯定したり、「受け手にも悪いところがある」「自分の責任」「ケンカ両成敗」というような回答をすることを「セカンドハラスメント」(第4のメッセージ)といいます。

 このようなプロセスになります。こうした矛盾したメッセージを入れ込まれると、人間は混乱して、身動きが取れなくなってしまうのです。

 

 

・ダブルバインドの例

 例えばこんなことです。

 

親と子どもの例です。

1.親がイライラしている。
2.家で遊んでいる子どもを「勉強しなさい」と叱りつける。

  子どもは、なんで遊んでいけないのか?と反論する
  (違和感)

3.「あなたの為を思って行っているのよ」(隠ぺいするメッセージ)と伝える。
 
  ※子どもは混乱する。直感では、親は自分のイライラをぶつけているだけと思っているから。

4.「勉強しなければ、夕飯抜きよ」(この状況から逃げてはいけない)

  ※子どもは、不満を感じながらも、自分が悪いと思ってしまう。

5.他の子に聞くと「みんなそうだ」と答える。
  理不尽を当たり前と思ってしまう。

  ※自分が悪い子、という状況ができあがる。

 

 もう一つ別のケースです。

1.上司が部下をコントロールするなどネガティブな意図を持っている
2.部下を理由をつけて叱りつける。
  ※この時、理由はどうとでも解釈できる曖昧なものです。
 
  部下は、仕事の仕方はいろいろなので、たしかにそうかもしれないけど、叱られるほどでもないと納得がいかない感じ。

3.「おまえは自分がおかしいことがわからないのか?」
  と部下の感覚を否定し、裏の意図を隠ぺいするメッセージを発する。
  
  ※部下は混乱する。

4.「このことがわからなければ、いつまでたっても成長できないぞ!」
  「逃げちゃだめだ」

  ※混乱状況から抜け出すことを禁止され、さらに混乱状況に陥らされてします。

5.理由が見当たらないので
  他の人に相談したら、
  「あなたの態度に何か問題があったんじゃない?」
  「会社ってそういうもんだよ」

  ※自分がおかしい、という状況の完成。

 これが繰り返されることで、部下は自分の感覚を信じることがだんだんできなくなり、上司の基準を正解として支配されてしまう。

 

 

 

・「社会は、ハラスメントでできている」

 上に挙げた例を見て、「えっ、そんなことがダブルバインドなの?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか? その通り。安冨教授は「社会は、ハラスメントでできている」と表現するくらいあちらこちらにあふれているのです。

 「こんなこと当たり前と思っていた」と思うかもしれません。当たり前と思う人は被害者でありながら、加害者、つまりハラッシーハラッサー(ハラスメントを仕掛けられた結果、他者にハラスメントをするようになること)となって、他人に同じことをしてしまいかねません。

 ダブルバインドの何が問題かというと、人間には【本来の自分】【実存】とでもいうような部分がありますが、ダブルバインドを仕掛けられると、自分の感覚を疑うようになり、自分を信じられなくなってしまうことです。まさに、魂が殺されてしまうのです。

 拠り所を失った人間は、外部の規範や、他者に依存するようになります。幼いころにそうしたことが起きると、大人になってからもモラハラを受けやすい人間になります。さらに悪い事には、ハラスメントを受けておかしくなっている自分を正当化するために、他者を「おまえは礼儀がなっていない」といって叱りつけるなど、今度はハラスメントを行うようになるのです。

 ダブルバインドとはこうしたプロセスを言います。目に見えにくいですが、私たち人間に重大な影響を与えているのです。

 

 

「本来の自分」との断絶

・「学習」というプロセス

 人間というのは、白紙のままで生まれてくるわけではなく、生まれた時点で豊かな人格の原型をそなえて生まれてくることがわかっています。生まれた時点でそなえている【本来の自分】とでも言うべきものです。

 その【本来の自分】が【外部世界】とコミュニケーションを取る中で、外部世界と自分との間を媒介する【インターフェース】を発達させていきます。その過程のことを「学習」といいます。

 

 私たちは、【本来の自分】に備わる感情、情動を基盤として、【外部世界】とのコミュニケーションを常に取りながら、「学習」することで【インターフェース】を組換え、成熟させながら人生を生きていくのです。本来の子育てとは、親がコーチのように子どもが【本来の自分】の感覚を信頼し、認識できるようにサポートしていくことです。

 

 例えば、子どもがムズかっているとします。【本来の自分】は「疲れた」と感じています。

 親は、「どうしたの、お腹減っているの?」というと、子どもは、泣き止みません。

 次に、親が、「眠いの?」というと、子どもは、泣き止みません。

 親が、「疲れたの?」というと、
 子どもは自分の感覚と合っていることを感じてうなずき、ムズかるのをやめます。

 子どもは、「この感覚は疲れているということなんだ」ということを学習し、自分の感覚(【本来の自分】)を信頼できるようになります。【インターフェース】が発達し、次からは「疲れている」ということを正しく認識し、周囲にも伝えることができるように徐々になっていきます。

 

 

・学習が阻害され、【本来の自分】との信頼が失われる

 【本来の自分】との信頼関係が「愛着」というものになり、コミュニケーションの基盤、安全基地になります。【外部世界】との間で孤立することがあっても、【本来の自分】の感覚を頼りに学習できるので適切に対処することができます。

 しかし、もし親がムズかっている子どもに対していきなり叱りつけたらどうでしょうか?あるいは、「眠いんでしょ!寝なさい」「あなたはいつもそうね。いいところでムズかってややこしい子どもね」といった対応をしたらどうなるでしょうか?

 子どもは、自分の感覚を正しく感じることができなくなります。逆に、「疲れている」という感覚を「ややこしい自分の癖」といったような誤った結びつけをするかもしれません。「疲れている」自分の感覚を信頼することができなくなります。

 

 
 そうしていると、【本来の自分】との間の【インターフェース】が適切に発達しなくなり、【本来の自分】とのコミュニケーションが断絶するようになってきます。【本来の自分】よりも、親の言うことを正解として生きるようになってきます。

 
 能力のある子であればあるほど、頑張って「いい子」としてしばらくは過ごせるでしょう。しかし、基盤となるはずの【本来の自分】への信頼がなく安全基地がないまま育っていくので、【インターフェース】の発達に必要な学習がうまくできなくなります。当然、コミュニケーションも不自然になります。

 

 

断絶のイメージ

 

 

パッケージ化された【インターフェース】の強制

・偽りの自分を生きるようになる

 

 ベイトソンは、ダブルバインドの結果、

 言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)
 言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型)
 コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)

 といった精神障害が生じるといいました。
 このパターンが全てかどうかはわかりませんが、さまざまな不具合が生じてきます。

 

 子どもはその不具合を避けるために、本当であれば【本来の自分】とのつながりを回復する必要があります。
 しかし、【本来の自分】を押し殺すようにして育てられたため、適切な対応を取ることができず、むしろ、パッケージ化された【インターフェース】を無理やり当てはめるようになります。

 パッケージ化された【インターフェース】とは何かというと社会や周囲から見て「望ましい人間」という既製服のような価値観や人格を自分のものとしてしまうことです。

 「良い子」
 「勉強のできる子ども」
 「仕事がデキる人」
 「完璧な主婦」
 
などなど
まさに、偽りの自分を自分として生きるようになります。

 

 

・外部への依存

 ただ、これでも、現実にはうまく対応できません。なぜなら、現実は常に千変万化していくので、既製服では対応できるはずもありません。学習が必要なのですが、既製服の固まった姿に阻まれ、うまくいきません。

 

 そうするとどうなるかというと、外側にある規範、あるいは支配的な人物に過度に依存するようになります。自分ではうまく学習できないので外側にあるルールに過度にしたがって生きるようになります。「礼儀」「マナー」「道徳」「教義」「評価」といったものです。

 

 

・魂を殺す闇教育の横行

 本来の教育や子育てというのは、【本来の自分】との信頼関係ができるようにそっとコーチングするものであって、【本来の自分】を野蛮、未熟として否定したり、パッケージ化された【インターフェース】を強制するものではありません。

 子どもというのは、生まれた時点で独自の人格をそなえて生れてくるわけですから、他者が立ち入ることなど本来はできません。しかし、「子どもは我欲の塊」「しつけなければ何をするかわからない」というようなドグマがまだまだ支配的であるため【本来の自分】を殺してしまうような子育てや教育が横行してしまっています。

 

 そうした子育てや教育は「闇教育」と呼ばれています。アリス・ミラーやアルノ・グリュンらが批判しているものです。彼らは、後者の意味での「しつけ」や「教育」は必要ない、といっています。厳しくしつけられた人格の代表格として、ユダヤ人虐殺を指揮したアイヒマンをあげています。

 アイヒマンは残虐な性格というわけではなくごくごく平凡な男性でした。サラリーマンの事務仕事のように、ユダヤ人の虐殺を忠実にこなしていました。虐殺に対する違和感や自分の実感というものは殺し、ナチス党内の評価や教義に忠実だったわけです。裁判でも、ただ命令に従っただけ、という主張を繰り返しました。彼が血色を変えたのは、裁判官に規律していないことをとがめられた時だといいます。

 

 つまり、外的規範に沿っていないことについては過度に反応しますが、自分の感覚とのつながりは希薄な、まさに魂を殺された状態であったわけです。

 ハラスメントは、まさにダブルバインドを用いて、魂を殺してしまいます。

 

 

 

パッケージの「内面化」による【本来の自分】からの断絶

 人間は成長の過程で、本来であれば【本来の自分】と【社会】との間にコミュニケーションの出入口となる【インターフェース】を作ります。【インターフェース】とは、コミュニケーションの取り方、情報の取捨選択の方法など、関わり方、付き合い方を身につけるということです。教育や、躾、というと、決まった型やパッケージを教えこむと思い込んでいるケースが多いのですが、それは本来のものではありません。

大切なことは、
 1.【本来の自分】との信頼関係を作る(安全基地を作る)
 2.【インターフェース】を育む(つきあい方を学ぶ)
ということです。

 

 

・本来必要なのは、自分の判断でルールを取捨選択すること

 しかし、多くの場合、社会の規範や、親の言うことをパッケージとしてそのまま「内面化」してしまいます。「内面化」というのは、規範やルールを自分のものとして受け入れる、ということです。社会に出るためには当たり前だろう、と思うかもしれませんが、非常に危険なことで、その規範が特定の個人から発せられるとしたら支配されることと同義と言えます。

 

 規範やルールを学ばなければ、原始人のようになってしまうのではないか、と思うかもしれませんが、そんなことはありません。本来、社会化するというのは、ルールを内面化することではなく、「社会との付き合い方」を学ぶことであり、自分の判断でルールを取捨選択できる、ということです。そのまま受け入れて、自分のものとする必要はないのです。

 

 もし、万一、型を学ぶ過程でパッケージをそのまま受け入れる必要があったとしても、それは、パッケージを受け入れっぱなしにするのではなく、インターフェースが構築されたら、パッケージは相対化して手放すことが必要です。人間の場合、社会との付き合い方について親を鏡として親を通じて学ぶわけですが、反抗期にそのパッケージを手放して、自立していくわけです。

 

 

・親の考えを強要され、自分を見失う

 ただ、多くの場合、親の考え方をそのまま受け入れることを強要されたり、親の考えをそのまま受け入れることが「素直な子ども」であり「親孝行」であると思わされてしまいます。そうすると、なぜだかわからない生きづらさに苦しむことになります。

 なぜならパッケージをそのまま受け入れると【インターフェース】が育たなくなります。付き合い方を知り自分で判断できる人間になるのではなく、柔軟さのないマニュアル人間になるわけですから。

 

 また、パッケージをそのまま受け入れるということは【本来の自分】を信頼できなくなり、自分の感覚や土台がわからなくなります。自分の力で社会と付合えない、自分を見失うことになるわけですから、不安定になるのも当然です。なぜかわからないが生きづらい場合の原因の一つはこうしたメカニズムにあります。

 

 

・知らずしらずのうちに支配され続けてしまう

 しかし、本人は原因がわからずに、目の前にある仕事で失敗する、人間関係で失敗することを解決しようと努力をし始めて、跳ね返されて、自信を奪われボロボロになります。

 「内面化」は、幼いころにトラウマを背負わされた人、不安定型愛着の人は、より強く生じます。トラウマになると脳が過活動を起こして、すぐに解離してしまうようになります。検索エンジンのクローラーのようにいつも頭がぐるぐる回っていて、人のことを考えまくっていますから周囲の人の考え、感情、価値観を「内面化」して自分のものとしてしまいます。

 

 その中でも一番考えさせられるのは親のことです。
ある人は、親に対して強い罪悪感を感じてします。ある人は、親に対して怒りを感じてしまう。

 自分にとっての善悪の基準として埋め込まれてしまっているからです。だから、いつも親が頭に浮かんでしまい、「内面化」されたパッケージが抜けずに支配され続けてしまうのです。
 モラルハラスメントの背後には、「内面化」というメカニズムが潜んでいるのです。

 

 

 

 

家族(親、妻、夫)からの支配(モラハラ)

 

・2つのパターンで土台をこわす

 家族(親、妻、夫、あるいは彼氏彼女)が“ハラッサー”である場合、どのように支配されてしまうのかについても、ハラスメントのメカニズムを知るとわかります。

 まず、愛着の土台を2つのパターンで骨抜きにします。
 その2つとは、

 1.愛着(【本当の自分】への信頼+家族への信頼)を妨げてしまう。
 2.家族への依存だけを形成させ、【本当の自分】との信頼形成を妨げる。

 です。

 

・1つ目のパターン

 1つ目の「1.愛着(【本当の自分】への信頼+家族への信頼)を妨げてしまう。」は文字通り、理不尽なコミュニケーションによって【本来の自分】との信頼関係を作らせません。本人の感覚を徹底的に否定するようなコミュニケーションを取ります。

 例えば、「眠い」から泣いているのに、「わがままな子ども」だとして叱りつける。あるいは、別のことを押し付ける。親がもつネガティブな意図に気がついても、のらりくらりとごまかしたり、さらに「ひねくれた子ども」だとしてその感覚を否定する。

 もっと直接的に暴言を浴びせ続けたり、というケースやほとんど構わないケースも多いです。そうすることで、愛着の土台の形成を妨げてしまいます。非常にオーソドックスなケースです。

 

・2つ目のパターン

 もう一つ目は、「家族(親、夫、妻)への信頼だけを形成させ、【本当の自分】との信頼形成を妨げる。」です。直接的な暴言とかはないのですが、たくみなハラスメント的なコミュニケーションによって、自分の意に従わせているケースです。

 ネガティブな意図を隠したまま、そして、善悪の基準は家族が握ったままで本人の感覚を否定したり、混乱させるメッセージを投げ続けます。

 

 例えば、親は表面的には非常によく子どもの面倒を見ていますので、親に対する信頼はあります。しかし、子ども自身は【本当の自分】との信頼はありません。なぜなら、【本当の自分】を信じないように仕向けられてきたからです。



 そのため、常に、親が頼りで親が基準です。

 世間から見たら、親とも仲がいいし、親を大事にするし、良いことのように見えますが、本当は親から支配されています。【本当の自分】との信頼関係という土台がありませんから、実は非常に不安定なのですが、親という見せかけの安全基地があるために表面化しないだけの状態です。

 

 

・土台がこわされると、簡単に支配されてしまう

 後者のパターンの場合、愛着障害とは気がつきにくく、本人も支配されているとも思っていません。しかし、よくよく見ると、自信がなく、親の意に沿った人生を歩まされているということです。また、よくわからない生きづらさや不安を感じたり、といったことも多いのです。

 支配というと、何か激しいもの、暴力的なものというように思われるかもしれません。しかし、実は生後1歳半までの間に【本当の自分】との信頼関係づくりを妨げれば、あとは、ハラスメント的なコミュニケーションで日々ダブルバインドを仕掛けていけば紳士的に支配できるのです。

 後者のケースなどは、体調を崩すなどをきっかけに本人が気がつき、専門家の助けがないとなかなか抜け出せないかもしれません。

 

 

 

職場での支配(モラハラ、パワハラ)

 最近ブラック会社などの指摘で注目されているように、会社という空間は、ハラスメントが生じやすい場です。

 会社や上司からハラスメントされやすい、支配されやすいのは、会社がそもそもある種の目的や考えを共有する閉鎖的な集団だということがあります。そのために価値観が偏りやすい。仕事における正解などはないのですが、これが正しいと思い込む人も多いです。仕事の仕方だけであればいいのですが、人間性に立ち入ってくる過剰な関わりが起きることもしばしばです。

 

・気がつきにくい職場のハラスメント

 新卒であれば、はじめて就職する職場とは新しい世界にデビューすることであり、上司や職場は第二の愛着形成の場でもあります。上司や会社は社会人の自分にとっての親のような存在でもあります。そこで伝えられるルールや規範はその後の社会人生活の基盤となるものです。

 そのために相対化しにくいし、少々の理不尽にも耐えないといけないと考えて、ついつい従ってしまいます。中途の場合でも、できるだけ職場になじもう(郷に入っては郷に従え)という考えをもつ真面目な方ほどそうした傾向はあるかと思います。

 

 ブラック会社、ブラック職場がしばしば問題になります。どうしてそんな会社がはびこるのかということの背景の一つには、真面目な社員ほどハラスメントが目に入らない、相対化しにくいことがあります。

 おかしな環境からは「立ち去ること」がまず一番の対策になりますが、仕事を変わる辞めることには経済的な制約もあります。また、自分の存在価値をかけて仕事に取り組んでいますから、余計にその場から去りにくいのも理由のひとつでしょう。

 

 

・”やりがい”や、高い理想による搾取

 さらに、日本においては体育会系の根性論のような考えをもつ職場も多いです。特にベンチャー企業などで、社員の「やりがい」や「理想」「夢」というものを意図的にコントロールするという仕掛けが見られることも、ジャーナリストや社会学者などによって指摘されています。

 もちろん、会社がやりがいを引き出そうとすることは良いことです。ただ、それが仕事の過度な負担や過酷な環境に声を上げることを妨げるようになるのであれば問題です。

 

 よくあるのは理念を掲げることで、社員をモチベートしながら、結果として不満が表面化しにくい雰囲気にしていたり、ということです。理念があるのは良いことかもしれません。しかし、理不尽なことや環境が悪いことへの不満についても、すべて理念を盾に取られて跳ね返されているのであれば、まさにハラスメントになります。

 

 例えば社員の心得として
 「愚痴を言ってはいけない(愚痴を言うのは後ろ向きなことだ)」
 「言い訳してはいけない(声を上げるな)」
 「環境のせいにしてはいけない、全て自分の選択だ(会社のせいではない)」

 といったことが刷り込まれます。
 経営者や会社はある意味言い訳し放題なのですが、社員は許されません。

 エントリーマネジメントとして、入社段階で環境の厳しさについても表面的に同意させます。そうして入社してから文句を言い難くさせます。「入社の時に同意して入ってきたのだろう?合わなければそもそも入らなければよかったんだ」(採用時は立場も弱く入社時に全てを確認できるわけでもなく、入社=全てに同意、ではないのでこの論法はおかしいのですが、社員の立場では声を上げることは難しい。)

 

 

・「逃げるな」という呪縛

 さらには、「逃げるな。つらいことから逃げる奴は負け犬だ」という事も言われます。

 お気づきと思われますが、これらはダブルバインド理論がそのまま当てはまります。こうして、【本来の自分】との信頼関係を断たれてしまって、心身が悲鳴を上げるまで働かされてしまうのです。あるいは、仕事ができない奴、段取りが悪いやつとレッテルを貼られて人格を否定されるように詰められ、追い込まれていくのです。
 本来は、人間というのは非定型なもので、考え方、物事の取り組み方などは多様ですから、一つのものさしで測れるものではありません。そうであるにもかかわらず、上司や会社から評価され人間性を否定されてしまいます。

 

 

・「脱落者」のレッテル

 特に創業社長には自己愛性気質の人が多いと言われていますが、自分の考えには変更の余地はないと思っています。その中で、自分の常識を社員に押しつけて、違和感を感じて逃げる人は「夢から脱落した人」という意味付けをして、残る社員を縛り続けます。

 

 こうしたことに違和感を持つ人はそもそも入社しないし、静かに立ち去ります。しかし、違和感を感じない人がいます。特に、まじめな人ほど頑張ろうとします。

 そんなこと、会社だったらよくあることでは?
 程度の差はあれ、仕事とは理不尽なものでは?
と考えていると、理不尽に声を上げることができずに利用されてしまう。

 自分自身がセカンドハラスメントを仕掛けさせられているようなもので、違和感を持った人とも手を取り合うことができません。相談する相手も同じ考えだと、お互いが苦しめ合うような構図です。

 

 

・他人によって意図された”意志”に縛られ、【本来の自分】から遠ざかってしまう

 やりがいを持って働くのは良いことだし、他人がとやかくいうことではないと思うところです。ただ、そのやりがいが他人によって意図されたもの、同調圧力によるものであったらどうでしょうか?はたして本人が選んだものといえるでしょうか?

 特にブラック会社などは、意図してやりがいを設計して、きれいな理念で隠ぺいさせられていることが多いです。あるいは、ブラックな上司の場合は、職場での善悪の基準を自分の思い通りの位置に設定して周囲の実状に合わせることをしません。基準をずらし続けて、指摘を逃れて、違和感を感じる相手がおかしいことにしてしまいます。

 

 こうしたことは、証拠を捉えにくく、告発したくてもハラスメントの受け手は容易に言語化できません。そのために、いくら努力しようと頑張っても満たされることはなく、頑張れば頑張るほど【本来の自分】の望むところからは逆に遠ざかってしまうようになるのです。

 

 

 

ハラスメントは拡散する

・罪悪感、劣等感を植え付けて相手を支配する

 世の中には、礼儀にうるさい人や自分の仕事の仕方、振る舞い方、食べ物の食べ方に至るまでそれを正しいものとして他人に押し付けようとする人がいます。

 「社会人としてはこれが常識だ」 
 「鍋の食べ方はこうだ」
 「恋人とはこう振る舞うものだ」
 などなど、

 そして、その人の基準に達していない人に罪悪感、劣等感を植え付けていきます。罪悪感を植え付けるのは効果的に自分に従わせることができるからです。
 
 本当に鬱陶しいなと感じるかと思いますが、実はこの人たちは、ハラスメントの被害者(加害者)でもあるのです。

 

 

・ハラスメントを内面化する

 なぜかというと、ハラスメントの性質として、ハラスメントを受けた人が今度はハラスメントを行う側に回らされてしまうからです。礼儀にうるさい人、というのは、成長する中で受けた理不尽を正当化するために、他人に対して理不尽の布教活動をしている人たちなのです。

 虐待した人は、虐待した側に回ると言うのは、よく言われますが「内面化」ということで説明できます。

 もともと人間は、【本来の自分】を土台として、自分の力でそれが自分に合うか合わないかを直感的に判断します。むき出しの【本来の自分】だけでは、社会とうまくコミュニケーションをとったり、【本来の自分】が伝える直感を表現することができません。そのため、【インターフェース】(社会との付き合い方)を育んで周囲とのやり取りを行います。

 礼儀も常識も時代とともに変わりますし、関係性、シチュエーションによっても変わります。マニュアル人間では対処できないのです。

 

 
 しかし、私たちが遭遇する多くの場面で日々変わるはずの礼儀や常識を固定的な聖典のようにして、一言一句そのままに内面化するように強要されることがあります。そのプロセスでは、ダブルバインドなど理不尽な振る舞いによって、【本来の自分】との信頼関係を破壊し、寄る辺を失わせて、外部のルールに頼らざるを得なくさせられます。冒頭のように罪悪感を植え付けられることもしばしばです。

 「おまえは、本当にいい加減なやつだ(だから、私の伝える常識を受け入れなさい)」
 「おまえは、どうしようもないやつだ(だから、私に従いなさい)」 
といった言葉(裏のメッセージ)は日常に飛び交っています。

 

 

・ハラスメントとは、「内面の文脈の停止」を強いること

 誰しも「礼儀や常識なんて、状況や人それぞれじゃない?」「そもそもリスペクトする気持ちが大事なんじゃない?」と直感的には思っています。しかし、礼儀や常識の基準を支配する側に握られて、都合の良い位置にゴールポストを動かされて、外れたシュートを責められることになるのです。

 たとえ目上の人であっても、どんなに位の高い人であっても、礼儀というのは双方向のコミュニケーションです。礼儀や常識というのは、世の中への付き合い方、ということであって、柔軟に変わらなければいけない。それが本来の在り方なのです。関係性によって両者の持つ内面の文脈は柔軟に変更されることが前提です。

 

 しかし、ハラスメントでは、支配する側は意図的に内面の文脈の変更を拒否します。なぜなら、支配する側は「自分は相手を指導する、罰する資格がある(神のような立場だ)」と思っているからです。「内面の文脈の停止」が許されていると考えているのです。そして「内面の文脈の停止」を隠ぺいします。

 その時の言い訳が、
 「私は親だ。親の言うことは聞くものだ」
 「私は上司だ。上司の言うことが聞けないのか」
 「あなたは自分が変だということに気がつかないわけ?」

 これがモラルハラスメントというものです。

 

 

・固定されたパッケージを内面化した人は、他人にも押し付けようとする

 昔、共産主義など全体主義の国において反体制の人たちに対して洗脳が行われていたことがありましたが、まさにそのような感じになります。疑問は受け付けられず、疑問を持つ側がおかしいとされてしまう。

 常識や礼儀が固定化されたものだとして内面化させられた人は、【本来の自分】の上に【インターフェース】と【外的規範】とを、あたかも固定された鎧のように着せられているようなものです。

 そして、本人もその理不尽さや自らの醜さにうすうす気がついているのですが、そのことを見たくない、指摘されたくないので、「これがかっこいいのだ。本来の人間の姿だ」として、他人にそのまま押し付けようとしてしまうのです。

 

 流行と同じで、自分だけが眉毛を細くすればおかしく見られますが、多くの人が眉毛を細くすればかっこ良いものになります。ジーパンを腰ではくのも、自分だけなら単にだらしないおかしな人と思われますが、有名人がやっている、あるいは沢山の人がやっていればそれはかっこいいものになります。

 固定されたパッケージを鎧として着せられて内面化してしまった人は、できるだけ仲間を増やそうとして、それを「常識なのよ!」と押し付けようとします。規範や常識というパッケージを「内面化」してしまった人が他人にもそれを押し付けようとする、という現状にはこうした背景があります。世の中で、礼儀にうるさい人たち、というのは無意識にそうしたことを行っているのです。

 

 

・ハラスメントは、次々と毒をまき散らして拡散する

 そんなことないとおもうかもしれませんが、私たちも日常的に行っています。自覚することが必要です。

 例えば、日々やりたいことを我慢している主婦が、子どもがいてもやりたいことをしている(ように見える)主婦を見て、「子どもがかわいそう」「親の責任をはたしていない」として主婦仲間で陰口を叩いたり、有名な人であればインターネットなどでバッシングをしたり。
 理不尽な環境で努力して頑張ってきた人が、マイペースな人を見て、「甘えている」「仕事とはしんどいものだ」「理不尽で当たり前だ」として厳しい指導をしたり、冷たい目で見たり。

 

 親から過剰な躾を受けた人が、結婚してからパートナーに対して、服のたたみ方や、料理の仕方、掃除の仕方まで、細かなことをあげつらって、「おまえはいい加減だ」「こんな当たり前のこともできないのか」と親から言われてきたことをそのまま押し付けたり。などなど、枚挙に暇がありません。

 このように、ハラスメントは、核分裂反応のように拡散し、あたかも放射能のように次々とハラスメントの毒をまき散らすのです。

 

 

 

→関連する記事はこちら

 ▶「モラハラ(モラルハラスメント)への対策、対処法~6つのポイント

 ▶「生きづらさとは何か?その原因と克服

 

 

 

 ※サイト内のコンテンツを転載などでご利用の際はお手数ですが出典元として当サイト名の記載、あるいはリンクをお願い致します。

(参考・出典)

イルゴイエンヌ「モラル・ハラスメント」(紀伊國屋書店)

安冨歩・本條晴一郎「ハラスメントは連鎖する」(光文社)

大嶋信頼「支配されちゃう人たち」(青山ライフ出版)

アリス・ミラー「魂の殺人」(新曜社)

アルノ・グリューン「「正常さ」という病」(青土社)

深尾葉子「魂の脱植民地化とは何か」(青灯社)

安冨歩「誰が星の王子さまを殺したのか――モラル・ハラスメントの罠 」(明石書店)

深尾葉子「日本の社会を埋め尽くすカエル男の末路」(講談社)

深尾葉子「日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体 」(講談社)

ベイトソン「精神と自然―生きた世界の認識論」(新思索社)

安冨歩「生きる技法」(青灯社)

みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

など